人類は全銀河を我がものにした。しかしそこに失望をもたらす事があった。隣人の不在である。宇宙時代が幕を開けた頃、異星人との遭遇は時間の問題と思われていた。しかし、いくつもの居住可能惑星が主不在（人類と同等の知能を持つと思われる種族のいない状態）で見つかり、人類の版図に新たな惑星が加わる度に、人々は溜め息まじりでそれを祝ったものだった。
月から六十度先行するラグランジュポイントに浮かぶ『スカイ・ウォッチャーIX』のレーダー観測員フィムール・クロアが国籍不明の宇宙船を見付けた。それは、天頂方向（地球公転面に対して垂直北側）、小熊座領域（星座の形は失われているが）から真っ直ぐ太陽を目指して飛行している。地球からの距離二百天文単位。地球に対する速度秒速百二十八キロ。
国連宇宙局（ＵＮＳＡ）局長のレギャム・ドージャは苛立っていた。アフリカ共同体（ＡＣ）出身の彼は、混血の進んだ現在では珍しくなった黒に近い褐色の肌の持ち主で、白い歯の印象的な顔だが、今日は唇を噛んで靴音を響かせて、部屋の中を行ったり来たりしている。
「サヴォラ君、ＵＦＯはどうなった」
サヴォラと呼ばれた男は茶色い髪で彫の深い顔立ちのコーカソイド系。
「現在、減速しつつ地球を目指しております」
「それは昨日も聞いた。私が知りたいのは現在の事だ」
「ですから今日も減速しつつ地球に接近中です」
「距離は？」
「約百天文単位です」
私はこの科学者上がりのサヴォラが気に食わない。どうしてこうも落ち着いていられるのか。後一年無事にこの仕事を勤め上げれば国で大臣の椅子が待っていると言う時にこんなことが起こって、ああ私の未来は。とレギャムが思っていると、映話が鳴った。
「ドージャ局長。総長がお呼びですので百三十六階まで来て下さい」
「わかったすぐ行く。
サヴォラ、後を頼むぞ」
レギャムは椅子に掛けてあったスーツをひっ握むと、部屋を出て行った。
やれやれ、とサヴォラは思う。例えあのＵＦＯが異星人のものだったとして、地球を目指しているからには人類か、あるいは地球上の他の生物のどれかには似てるだろう。だとすれば、コミュニケーションも自動翻訳器の助けを借りればなんとかなるに違いない。つまり、何もレギャム局長みたいに慌てなくてもどうにかなるはずさ。あくまで楽天家のサヴォラはそれだけでレギャムから嫌われていた。
太陽が赤色巨星の段階にさしかかったとき、人類は母なる惑星を火星軌道の外まで移動させ、消滅を防いだ。水星と金星は膨張する火球に飲み込まれ、やがて太陽は収縮し、弱々しく青白い光を放つ白色矮星になった。人類は再び地球を動かし、在りし日の軌道に戻した。その夕暮れに明星に再び見えることはなく、太陽は夏をもたらさず、ドーム都市にのみ人の住めるこの惑星を、人はなお忘れ去ることなく、銀河中を覆い尽くした人類の、心の故郷であり続けた。
戦艦『フジ』の艦橋でカジ艦長はじっとスクリーンボールを眺めていた。ＵＦＯは白い輝点で示されている。その輝点がじりっじりっと近付いて来る。戦ったことのない軍艦がいま、敵かもしれないものに近付いて行く。ああ、胃が痛い、とカジは思った。近付いているＵＦＯが異星人のものであってもなくても面倒な事が我が身にふりかかってくるのは目に見えている。ああ、異に穴が穿きそうだ。
「艦長、間も無く偵察機を送れる距離になります」
副官ロボットが一切の感情を省いた声でそう告げた。この任務が終わったら病院に行こう、カジは心に決めた。
長い年月の内に医療は長足の進歩を示した。平均寿命は今や八万年となっていた。それは主に細胞そのものを若返らせる技術の進歩によるものが大きい。それまで百十三才と言われていた限界寿命を一気に理論上無限にまで引き延ばしたのが細胞再活性化技術だった。一方、この長過ぎる寿命が逆に死の恐怖を倍加させ、新宗教が勃興したことも言っておかねばなるまい。三大宗教は依然として命脈を保ったものの、多くの亜流傍流が本家を食い潰して行く格好となった。そして最も多くの傍流を生み出し、数の上で他を凌駕したのが仏教だった。もともと仏教には多くの教派を許す下地があり、また、他宗教を取り込むことが比較的楽だったことがこの繁栄につながったのである。
チャン・ションロンは書斎の椅子に腰掛け、腕を組み、瞑想していた。彼は哲学者であり、多くの生徒に人生とは何かを教えてきた教授でもあった。その彼が今、自分の死をみつめていた。細胞活性化技術は確かに理論上の不死をもたらしたが、それはあくまで理論上のものでしかなく、実際問題として、年齢が上がるに連れ傷付いた細胞の増加などで死は確実に近付いてくるものであることに変りはなかった。そして今、チャン教授は医師に寿命の近いことを宣告されたのだった。彼の頭の中に、多くの先人の言葉や自分自身の思考が浮かんでは消え、消えては浮かび、壊れ、再生し、くっつき、離れ、途切れることはなかった。今だからわかる言葉、今は認めることの出来ない言葉。壊れたかけらからつぼを再生すると言うより、波打ち際で壊され続ける砂の城を作り続けているような気分。死という扉に隔てられた隣の部屋からは何が見えるのだろう。
『フジ』がＵＮＳＡに送ってきた報告は次のようなものだった。
ＵＦＯは全長約百五十メートルの卵型。武器の装備はなく、商船と思われる。全銀河の登録船舶データの中に同型の船舶はなく、国連旗、国旗その他のペインティングは一切ないため、人類以外の何ものかの宇宙船である可能性が高い。
ざっとこんな感じだった。
「サヴォラ、どう思う」
「この報告書の通りだとすると、人類史上初の異星人との接触ということになります」
「その通り。そうなれば我々宇宙局がイニシアティヴを握らねばなるまい」
「クーデターですか？」
「馬鹿野郎！」
「冗談ですよ」
「そんな場合か！」
「そうやって局長がもの凄く緊張してるみたいだったから、リラックスさせてあげようと思ったんじゃないですか」
「まったく」
レギャムはサヴォラをにらみつけ、映話に手を伸ばした。
カイロ近郊の宙港に異星人の下り立ったその模様は全銀河に生中継された。まるっきり人間そのものの異星人は背が高く、薄い褐色の肌を持ち、彫の深い顔だった。二時間ぐらいで、自動翻訳器は機能し始めた。そして彼（男だったのである）の名前が明らかになった。マイトレーヤ。また、彼の惑星がトゥシタの名で呼ばれていることも判った。ただ、彼の話を総合してみると、このトゥシタの存在する場所が地球と重なってしまうのだ。そしてこのことを裏付けるように彼は今回の飛行が母星ヘの帰還途中だったことを告げた。果たして彼は地球人なのか。その問いに、科学者が解答をもたらした。彼が最初にレーダーに捕獲された頃、ちょうど原因不明のニュートリノ・シャワーを観測していた。この時この宇宙が隣の宇宙と一瞬交わり、離れたときには隣の宇宙からマイトレーヤを乗せた宇宙船が我々の宇宙に紛れ込んだのだろう。そして、基本的にはマイトレーヤを我々人類と同系と見て差し支えないだろうということだった。
マイトレーヤが厳密には異星人とは言えないことが判明したことで、『唯人類論』が再び幅を利かせ始めた。この宇宙全体を見回しても、人類以外に高度に知能の発達した存在はない、とするこの考え方は銀河系一つを完全に手中に収めたときに非常に盛り上がった思想だった。それが再びブームになったのは多分に気分的なものであった。だが、逆に、だからこそ、人類の一般的な感覚に根を下ろしたとも言えるだろう。
半年後。マイトレーヤはチャン教授の元にいた。
「ションロン、人の生きている目的はなんだろう」
「古人曰く、『それは死ぬ時になってようやくわかるものだ』」
「でもそれじゃ遅いのじゃないか？」
こんな会話を繰り返していた。
そして或る朝。マイトレーヤがションロンの所に駆け込んで来た。
「聞いてくれションロン。私は宇宙の究極の答えを知ってしまった」
「まさか四十二だなんて言わないだろうな」
「どういう意味です？」
「知らないなら気にしなくていい」
「まあいいです。究極の答えはあまりにも、学問と懸け離れた所にあるのでどうしようか迷っています」
「聞かせてくれるか？」
そしてションロンは数日後、満足を覚えて静かに息を引き取った。
その後、マイトレーヤは死ぬまでの六万年間、自分の得た究極の答えを人々に広め続けた。レギャムやカジなど多くの人がその究極の答えに満足し、一切の悩み、苦しみに別れを告げた。そんな状態はマイトレーヤの死後六万年間続き、人類史上最も幸福な十二万年を迎えたのである。
さて、マイトレーヤの得た究極の答えはどのようなものだったのか。
それはあなたの心の中に隠されているかも知れない。