男はそこに立っていた。正確には浮かんでいた。そこは宇宙の涯。
鏡面が延々と広がっていた。どれだけの広がりがあるのかは判らない。ただ前景と後景が対称なのが判る。
男を照らすのは自分の宇宙船から洩れる光だけだ。男はしばらく景色を眺めた後、船外活動用の照明を点灯した。
鏡面を照らしてみる。空気による散乱がないので遠近感が掴みにくいが、意外に近そうだった。
姿勢制御用のブースターを吹かして近付いていく。自分の姿で距離が判断できる。
１メートル程手前で一度停止。
ゆっくりと鏡面に近付き、右手を伸ばした。
男は宇宙に涯があるという噂を聞き、居ても立ってもいられなくなった。必死にスポンサーを集め――多くは情報の独占を一応狙っておこうというマスコミが提供してくれた――宇宙船を調達した。宇宙船にはカメラが積まれ、出発してからも時々テレビに出演した。しかしそれも、船に加速がつく前の三カ月ほどの間だけだった。光速に近い宇宙船はその速度ゆえに地上と交信することができない。あとはただ、ビデオが回る。
勿論、鏡に触れて、それで終りということを、多少物足りないながら男は期待していた。
その瞬間、指先には何も感覚しなかった。
突き抜けた？
しかし、視覚が異を唱えた。
指先が折り返されている！
手を引っ込める。
また、そろりと近付ける。指先が視覚上鏡面と接する点。そして、指の中に折り返された指先。二度目なので気持ち悪さは感じつつも、角度を変えたりして、その重なり具合を確かめたりしてみる。体感するのはただ伸びた指。
手から顔を上げ、鏡に映った顔を見る。
顔か。
鏡面に顔を突っ込む。ヘルメットの中に向うからヘルメットが膨らんできて一瞬目を瞑る。目を開けると、宇宙が広がっていた。
下を向くと背中が見え踵も見える。体が回転し始めてしまっているのでだんだんそれが迫ってくる。
ぐっと首を下に向けると回転が加速し、鏡面から体が抜けてくる。足は腹のあたりを通過する。体が抜け切ってから回転を止めた。
さて、ここはどこだろう。
その１、ここは宇宙の涯じゃなく、まだ続いている。
その２、実は反射されていて、鏡の向うに来たと思ったのは勘違い。
男は正面に自分の船（あるいはその鏡像）を見た。振り返り、そこにも船の鏡像（あるいは実物）を見る。さらに一度、二度。三度目には動き出した。鏡を背に。